日本とフランス、伝統の技術が出合った特別な腕時計。

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    今年のバーゼル・ワールドでエルメスが発表したのは、フランスと日本の伝統工芸技術が融合した繊細で美しい腕時計。「スリム ドゥ エルメス 駒くらべ」と名付けられた、その特別なモデルにクローズアップ。

    制作はわずか12点、すべてがユニークピースの時計。

    ご存じの通りエルメスは、馬具工房としてスタートしたメゾンです。しかしいまや腕時計の分野でも、独自の世界感をもつ欠かせないブランドとなっています。特に今年は、ヴォーシェ社製ムーブメントを搭載した薄くシンプルな腕時計「スリム ドゥ エルメス」コレクションを発表し、機械式時計愛好家たちの耳目を集める一方で、職人による卓越した技術に焦点をあてた芸術的なモデルをお披露目し、エルメスならではの豊かな時計づくりの世界を印象づけました。

    ここで紹介する「スリム ドゥ エルメス 駒くらべ」は、そうして発表されたエクセプショナルピースのコレクション。制作点数はわずか12点。一つひとつ、職人による手仕事で時間をかけてつくられるため、自ずとすべてがユニークピースとなっています。
    「駒くらべ」とは、国家安泰と五穀豊穣を祈る儀式として、かつては宮中で行われ、現在も年に一度、京都上賀茂神社で行われている古式競技のこと。よりすぐられた良馬と騎手の技術や作法を競うもので、日本書紀にも記述が見られる由緒あるものです。この雅な風景を、文字盤を彩るモチーフとして選び、実際に絵付けを行ったのが、石川県九谷の赤絵細描の第一人者、福島武山(ぶざん)氏です。赤絵細描とはその名の通り、赤絵の具を用いて、極細の線で花鳥、風月、人物などの絵付けを行う九谷焼の伝統技法の一つです。福島氏は並外れた技術と表現力で数々の受賞歴をもつ、この技法を代表する職人です。

    エルメスの時計部門を司るクリエイティブ・ディレクターのフィリップ・デロタル氏から、今回の制作を依頼された福島氏は、こう語っています。
    「エルメスは鞍から発祥しましたから、やはり馬を描かなければ、と思いました。そして、日本で長く続いている、公家さんが眺め楽しんだ競馬(くらべうま)の絵に行き当たりました。老若男女が馬の走るのを一日眺め、貴賤もなく楽しめたといいますから、これは本当に良いなと思った。その風景を描きました」
    ふだんは大皿や壷といった大きな作品を手がけることが多い福島氏ですが、細密な絵付けで評判を得ているだけに、小さな文字盤に描くこと自体はそれほど心配をしていなかったようです。エルメスが用意した真っ白な陶板に、最初に筆を下ろすまでは……。
    はじめて筆を下ろしたときのことを、福島氏はこう振り返ります。「とても描きにくかった。あまりにも素材がきれいで滑りますから(苦笑)。これほどツヤがかかったものは、これまでありませんでした。九谷焼の素地と比べると一目瞭然です。九谷の方は少し絵の具を吸ってくれる。こちらは全然吸い込みがありませんから、滑って書きにくかったのです」

    エルメスが文字盤として用意したのは、パリ郊外、セーヴルでつくられた磁器板です。3世紀以上の歴史をもつヨーロッパ屈指の磁器アトリエ、セーヴル王立製陶所によるこの磁器板は、素焼きした後に研磨をかけて細かな気泡をていねいに取りのぞき、さらに無色の釉を4〜6回にわたってかけ、そのたびに焼き付けを行ったもの。艶やかな仕上がりはエルメスらしい気品を湛えていると同時に、熟練の絵付け職人を悩ませ、嘆かせるものだったのです。
    「釉薬の上に塗る『にかわ』を吟味し、これを厚くすることで、ようやく少しひっかかるようになりました。筆は既製品ですが、自分で加工し、筆先を少し落として、書きやすくしています」と福島氏。
    繊細な筆づかいで、線描とぼかしを駆使し、さらに金描を加えて、息をのむほど細密な絵柄が仕上がりました。デリケートな装飾をきちんと定着させるため、3度の焼き付けを経て、文字盤はようやく完成します。生み出されたのは、日本とフランスの伝統と技術をむすんだ、希有な芸術作品といえるものです。

    その魅力について、福島氏はこう語ります。「いまの時計は正確で、全然時間が狂わない。そういうものと、1点1点すべて異なる私の手描き。息をしているし、人物もそのときの具合で異なる。そういう人間的なものと、機械的のものが(あわさった)面白みがあるのではないでしょうか」

    長年にわたって受け継がれ、培われてきた伝統のテクニック。しかも今回は日本とフランスという異なる文化を背景とした技術を融合させるという、大胆な試みが行われました。時を刻み、知らせることのみならず、ふたつの国が育んできた豊かな文化と、それを生み出してきた長い年月が、この時計には横たわっています。時計というものの奥深さと面白みを感じさせてくれるエルメスのクリエイションに、あらためて拍手を送りましょう。(Pen編集部)


    Photos by Eiichi Okuyama
    スリム ドゥ エルメス 駒くらべ
    Slim d’Hermès Koma Kurabe


    セーヴル王立製陶所による磁器製文字盤に、赤の色彩を用いた絵付け技法「九谷焼赤絵細描画」による古式競馬“駒競(こまくらべ)”の風景を再現。自動巻きムーブメント(ヴォーシェ社製 H1950)、ホワイトゴールドケース、ケース径39mm、パワーリザーブ約42時間、3気圧防水、マット・アリゲーターストラップ、世界12本限定(それぞれユニークピース)。¥7,549,200(税込み予価、2015年秋発売予定)

    問い合わせ先/エルメスジャポン TEL:03-3569-3300