デザインジャーナリストの土田貴宏さんが訪れた、デザイン先進国・スイス。後編で紹介するのは、美しい山々を間近に眺めるインターラーケンと、大都市チューリヒです。
写真:チューリヒ市街を流れるリマト川のそばには、伝統的な建物も多く見られる。川辺では白鳥が羽を休める。
風景を通して見えてくるスイスの感性。
インターラーケンという街にある登山鉄道に乗ると、スイスの原風景を五感で味わうことができます。インターラーケンはスイス中央部のユングフラウ地方にあり、ジュネーブやローザンヌから電車でチューリヒに向かう場合、その中継地点ベルンから約1時間で到着です。近隣のヴィルダースヴィル(Wilderswil)駅から出ているのが、シーニゲ・プラッテ鉄道という登山電車。この電車に乗って、標高1967mの山頂駅を目指します。
シーニゲ・プラッテ鉄道が開通したのは1893年のこと。車両はその長い歴史を感じさせる佇まいを残し、木の板を打ち付けた座席や活版印刷の切符など、懐かしさを感じさせるディテールがいたるところにあります。人々を乗せた電車は、いくつものトンネルを通り抜けながら、最大勾配25%の斜面をゆっくりと上っていきます。
シーニゲ・プラッテ鉄道が開通したのは1893年のこと。車両はその長い歴史を感じさせる佇まいを残し、木の板を打ち付けた座席や活版印刷の切符など、懐かしさを感じさせるディテールがいたるところにあります。人々を乗せた電車は、いくつものトンネルを通り抜けながら、最大勾配25%の斜面をゆっくりと上っていきます。
シーニゲ・プラッテ鉄道の車窓からは、スイスの都市と都市を結ぶ急行列車とはまったく違う景色が広がります。遠くに見えるのは、インターラーケン(湖の間)という地名のもとになった2つの湖、トゥーン湖とブリエンツ湖。天気がよければアイガーやユングフラウといった名峰も見えますが、窓のすぐ外に見える林や植物もとても魅力的です。見たこともない高山植物が山間の霧を背景に花を咲かせる様子は、ちょっと天国を思わせるところがありました。山頂駅までは約50分かかりますが、決して時間をもて余すことはありません。ちなみに高山鉄道が運転するのは5月末から10月下旬にかけてのみ、冬は雪に閉ざされてしまいます。
シーニゲ・プラッテの山頂駅に着くと、周囲にはハイキングコースや自然植物園が広がり、カウベルの音を響かせながら放牧されている牛のすぐそばまで行くこともできます。また一方では、谷の下から湧き上がった霧が、林の間を満たしていく幻想的なシーンが現れたりします。
シーニゲ・プラッテは観光客も多い場所ですが、スイスの人々はごく当たり前の習慣として山に出かけてハイキングやトレッキングを楽しむといいます。こうした風景を普段から目にし、その環境の中に身を置くという体験は、スイスの国民性にも反映されていることでしょう。特にスイス人の建築には、スケール感や素材感などについて、山脈、氷河、大地などからのインスピレーションを感じることがあります。それは表層的なモチーフではなく、彼らの日々の過ごし方と深いところで結びついているに違いありません。
シーニゲ・プラッテは観光客も多い場所ですが、スイスの人々はごく当たり前の習慣として山に出かけてハイキングやトレッキングを楽しむといいます。こうした風景を普段から目にし、その環境の中に身を置くという体験は、スイスの国民性にも反映されていることでしょう。特にスイス人の建築には、スケール感や素材感などについて、山脈、氷河、大地などからのインスピレーションを感じることがあります。それは表層的なモチーフではなく、彼らの日々の過ごし方と深いところで結びついているに違いありません。
スイス・カルチャーの中心地、チューリヒ。
チューリヒはスイス最大の都市で、国際的な金融機関の本社などがある経済の中心地。でありながら、澄んだ水を湛えるチューリヒ湖と、そこから流れ出るリマト川がつくり出す景色には、どこか田舎町のような風情が漂っています。川べりの道から川へと下りられる階段がいくつもあり、暖かい季節には水に足を浸して楽しむ人の姿が多く見られますが、そんな川面と人々との距離の近さがそう思わせてくれるのかもしれません。川辺では白鳥が羽を休め、その横を釣り糸を垂らした船が進んでいったりします。
そしてチューリヒは、文化的な面においてもスイスの中心といえるでしょう。東京で開催されたチューリヒ美術館展(神戸市立博物館では2015年1月31日から5月10日まで開催)により日本でも知名度を上げたチューリヒ美術館があるほか、デザインミュージアムや大規模なギャラリーコンプレックスなどの文化施設が充実しています。景色を見ながら散策するにはリマト川の周辺がお薦めですが、注目すべき多くのスポットが集中しているのは市内西部の再開発エリアです。
そしてチューリヒは、文化的な面においてもスイスの中心といえるでしょう。東京で開催されたチューリヒ美術館展(神戸市立博物館では2015年1月31日から5月10日まで開催)により日本でも知名度を上げたチューリヒ美術館があるほか、デザインミュージアムや大規模なギャラリーコンプレックスなどの文化施設が充実しています。景色を見ながら散策するにはリマト川の周辺がお薦めですが、注目すべき多くのスポットが集中しているのは市内西部の再開発エリアです。
チューリヒの再開発エリアは、12の区(Kreis)に分かれている市内の4区と5区にあたります。このj地区は産業革命の頃から工場が建ち始め、1970年代まで工場とそこで働く労働者のための住宅が多くある場所でしたが、工場の移転とともに急速にさびれてしまいました。80年代にはドラッグなどの犯罪が蔓延するようになります。しかし徐々にこの場所にアーティストやデザイナーが集まり、飲食店や小さなショップが増えて、異文化の交じり合った自由で活気のある場所になっていきました。2014年に出版されたこのエリアを紹介する書籍では、100件以上のスポットが掲載されています。
このエリアを歩いていて面白いことのひとつは、建築の多様性です。古びた工場がそのまま残されているところと、ギャラリーや飲食店などにリノベーションされた建物、そして真新しい現代建築が共存しているのです。なかには、歴史的な鋳造工場の構造をそのまま残して活用し、外側を新しい建築で覆った「PLUS 5」のような例もあります。
このエリアを歩いていて面白いことのひとつは、建築の多様性です。古びた工場がそのまま残されているところと、ギャラリーや飲食店などにリノベーションされた建物、そして真新しい現代建築が共存しているのです。なかには、歴史的な鋳造工場の構造をそのまま残して活用し、外側を新しい建築で覆った「PLUS 5」のような例もあります。
チューリヒの中心部に比較的近い4区から始まった再開発は、近年はチューリヒ中央駅の隣駅であるチューリヒ・ハードブリュッケ駅周辺に広がっています。このエリアのランドマークがプライムタワー。スイスで最も高いビルで、ギゴン&ゴヤーの設計により2011年末に完成しました。彼らは1989年からチューリヒを拠点に活動しており、アネット・ギゴンはヘルツォーク&ド・ムーロンのもとで、マイク・ゴヤーはレム・コールハース率いるOMAで経験を積んでいます。
この建物の特徴は、こうした高層ビルには珍しく、窓が開けられる構造を採用していること。換気によって環境負荷を低減するとともに、開けた窓が外観に変化を与えることが意図されています。訪れた時は残念ながらどの窓も閉じられていましたが、窓の開閉のシステムさえも緻密にデザインされているのです。最上階にはCLOUDSというレストラン&バーがあり、山々に抱かれたチューリヒの街を見下ろすこともできます。
この建物の特徴は、こうした高層ビルには珍しく、窓が開けられる構造を採用していること。換気によって環境負荷を低減するとともに、開けた窓が外観に変化を与えることが意図されています。訪れた時は残念ながらどの窓も閉じられていましたが、窓の開閉のシステムさえも緻密にデザインされているのです。最上階にはCLOUDSというレストラン&バーがあり、山々に抱かれたチューリヒの街を見下ろすこともできます。
プライムタワーの下の広場では、スケートボードに興じる若者たちの姿も。プライムタワーはドイツ銀行などの金融機関が入るオフィスビルですが、周囲の街並みはオフィス街然としたものではなく、一帯が工業地帯だった頃の面影を色濃く残しています。そしてプライムタワーのように最新の建築と、現代アートを扱うギャラリー、クラブ、レストラン、シアターなどの用途にコンバージョンされた古い建物が混在しているのです。都市全体としては整然とした印象があるチューリヒですが、このようなミックス感が新しいカルチャーを育んでいるのは間違いないでしょう。
デザインの楽しみが、いたるところに。
日本でも人気の高いバッグブランド、フライターグのフラッグシップショップも、やはりこのチューリヒの再開発エリアにあります。フライターグの製品が使用済みのトラックの幌を素材にしているように、このショップも使い古された輸送用コンテナを19個も積み重ねたものです。最も高い部分は9個のコンテナを積んでいて、最上階にのぼると変貌を遂げるチューリヒの街や、市内の周囲に延びる高速道路を眺めることができます。
現在、フライターグの工場はチューリヒ近郊にあり、ここにヨーロッパ各国からトラックの幌を集めて洗浄、裁断、出荷などを行います。貯蔵した雨水を幌の洗浄に活用したりと、環境にもさまざまな配慮がなされています。先進国の多くでは、コストを優先してものづくりの現場を国外に移すケースが増えてきました。しかしスイスでは、クオリティに万全を期し、スイス・メイドであることの価値を発信する意識をいたるところで感じます。
現在、フライターグの工場はチューリヒ近郊にあり、ここにヨーロッパ各国からトラックの幌を集めて洗浄、裁断、出荷などを行います。貯蔵した雨水を幌の洗浄に活用したりと、環境にもさまざまな配慮がなされています。先進国の多くでは、コストを優先してものづくりの現場を国外に移すケースが増えてきました。しかしスイスでは、クオリティに万全を期し、スイス・メイドであることの価値を発信する意識をいたるところで感じます。
スイスのデザインを語る上で決してはずせないのが、20世紀半ばに隆盛を極めたグラフィックデザイン。スイスではドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4言語が公用語として定められているため、複数の言語を見やすく効率的にレイアウトする必要がありました。スイスのタイポグラフィ(文字のデザイン)が高度に発達した背景に、そうした状況があるといわれています。この分野を長年にわたってリードした学校があったのが、ともにスイスのドイツ語圏にあるチューリヒとバーゼルでした。
スイスでは、印刷物のデザインに惹きつけられることが多いだけでなく、街中でも見事なタイポグラフィにハッとさせられることがあります。右のトラックはチューリヒ劇場のもので、単純な文字と図形、そして黒と赤の組み合わせだけで美しいインパクトをつくり出しています。スイス・タイポグラフィは、新旧の建築が混在する街並みとも調和するのです。
スイスでは、印刷物のデザインに惹きつけられることが多いだけでなく、街中でも見事なタイポグラフィにハッとさせられることがあります。右のトラックはチューリヒ劇場のもので、単純な文字と図形、そして黒と赤の組み合わせだけで美しいインパクトをつくり出しています。スイス・タイポグラフィは、新旧の建築が混在する街並みとも調和するのです。
チューリヒは観光客の多い都市であり、日本語のメニューが用意されたレストランも珍しくありません。しかし再開発エリアでは、より地元の人々に親しまれている飲食店が多いようです。「マルクトハーレ」(Markthalle)は屋内マーケットで、その一角にあるレストランはいつも深夜まで賑わっています。店内に見える石積みの構造体は、この場所が19世紀に開通した鉄道用の高架下だから。付近の高架下の空きスペースはいずれも数年前にイン・ヴィアドゥクト(Im Viadukt)という施設としてリノベーションされ、飲食店のほかにインテリアショップやブティックなどが集まっているのです。
マルクトハーレのレストランは、マーケットで扱う新鮮な素材を活かした料理が多く、現在のこの国の食生活の豊かさを実感できます。またスイスで必ず酔いしれたいのがスイスワイン。スイスはヴォー州をはじめ多くの優秀なワイン産地がありますが、国内での人気が高いので輸出されるのは約1%にすぎません。日本でなかなかスイスワインを目にしないのはそのためです。
マルクトハーレのレストランは、マーケットで扱う新鮮な素材を活かした料理が多く、現在のこの国の食生活の豊かさを実感できます。またスイスで必ず酔いしれたいのがスイスワイン。スイスはヴォー州をはじめ多くの優秀なワイン産地がありますが、国内での人気が高いので輸出されるのは約1%にすぎません。日本でなかなかスイスワインを目にしないのはそのためです。
スイスに着いた時、そしてスイスを旅立つ時に一般的に使われるのが、ここチューリヒ空港です。建築について見どころの多いスイスですが、チューリヒ空港のデザインとしての魅力も見逃せません。エアライン「SWISS」のデザインのクオリティとともに、国のイメージを高めるのに貢献しています。スイスのデザインの特徴は、シンプルさ、上質さ、機能性を重視していることだといわれます。チューリヒ空港やSWISSのデザインにも、その性格をはっきりと感じることができます。しばしば指摘されることですが、こうした美意識には日本と共通する部分があるのです。
現在のスイスは世界で最も豊かな国のひとつですが、19世紀までは常に貧しさと隣り合わせだったといいます。国土の美しさは古くから知られていたものの、山地が多いため農地に乏しく、資源も限られているからです。そんな環境の中で培われた自立と本質を重んじる精神が、さまざまな産業の原点となり、多様なクリエイションを開花させたのでしょう。各都市の見どころからも伝わるように、一連の動きは新しい文化のあり方のモデルになりうるものです。
2014年に国交樹立150周年を迎えた日本とスイス。国民性は違っても、共通する価値観や課題があるのは確かです。自分の国のもち味を理解しながら、いかに多様性や革新性を取り入れ、新たに普遍的な価値をつくり出せるか。2つの国が互いに触発されるケースが、これからいっそう増えていくかもしれません。(土田貴宏)
現在のスイスは世界で最も豊かな国のひとつですが、19世紀までは常に貧しさと隣り合わせだったといいます。国土の美しさは古くから知られていたものの、山地が多いため農地に乏しく、資源も限られているからです。そんな環境の中で培われた自立と本質を重んじる精神が、さまざまな産業の原点となり、多様なクリエイションを開花させたのでしょう。各都市の見どころからも伝わるように、一連の動きは新しい文化のあり方のモデルになりうるものです。
2014年に国交樹立150周年を迎えた日本とスイス。国民性は違っても、共通する価値観や課題があるのは確かです。自分の国のもち味を理解しながら、いかに多様性や革新性を取り入れ、新たに普遍的な価値をつくり出せるか。2つの国が互いに触発されるケースが、これからいっそう増えていくかもしれません。(土田貴宏)
関連リンク:日本・スイス国交樹立150周年記念 特設ウェブサイト http://swiss150.jp
スイス、山々や湖と優れたデザインが響き合う国。(前編)