北村さんが手にしているのは、鼻すじの形状を測るための専用器具。工房がオリジナルで製作したもの。
10代の頃から洋服やアクセサリー、雑貨などに興味をもっていたと言う北村さん。特に眼鏡は好きなアイテムで、高校生の時にフランスのアイウエアブランド「eye-dc」の眼鏡を知り、将来は眼鏡のデザイナーになりたいと思ったそうです。眼鏡についての知識を得るために大学在学中は大阪の眼鏡販売店でアルバイトし、卒業後は福井県鯖江市の眼鏡メーカーに就職。眼鏡職人として順調にキャリアを積んでいましたが、ある日、格安眼鏡店向けの中国製眼鏡を見て大きな危機感を抱きました。
「想像していたよりもクオリティが高くて驚きました。それでいて安い。もちろん職人の目から見ると、磨きなど細かいところに粗は感じるけれど、3万円以上する鯖江製に対し、中国製は3千円。これから中国製のクオリティがもっと上がっていったら、追い越されるかもしれない。そうなったら日本で眼鏡職人としてやっていけるだろうかと将来が不安になりました。そこで中国の眼鏡づくりを知ろうと思いました」
下の器具はテンプルの幅などを計測するためのもの。これらの器具を提携する眼鏡店に販売し、オーダーの際に使ってもらっているそうだ。
こうして中国に渡った北村さん。しかし大手の工場では日本との大きな違いは感じられず、零細の工場では環境の劣悪さを感じるのみで、あまり得るものはなかったそうです。自分にできること、やりたいことは中国にはないと思い、日本に帰国した北村さんでしたが、最初に感じたモヤモヤが解消されたわけでもありませんでした。
「モノとして、鯖江の眼鏡がよいのはわかっています。でもいずれ独立したとき、20年、30年先のことを考えたら、日本製だからいいという考えではダメではないか。眼鏡職人として、単純にきれいにつくるだけでない“なにか”はないかと思ったんです。そこで他の国の眼鏡づくり、モノづくりも見てみることにしました」
そしてアイルランドに渡った北村さんは、語学学校に通う傍ら、ヨーロッパ各地の眼鏡店や工房、眼鏡デザイナーの元を訪ねて回りました。その過程で、ベルギーのアイウエアブランド「ミッシェル・エノー」のデザイナーから紹介されたのが「Dorillat」。こうしてオーダーメイド眼鏡工房と巡り合ったことで、北村さんは眼鏡職人としてこれからも生きていくことの意味を見い出しました。
「北村 Domont」の新作フレーム。コレクションはモデルを選んだ後、その人に合わせて細部を微調整するセミオーダーのかたちとなる。
眼鏡フレームのサイズや形状は、単純にS、M、Lといった大きさの違いだけでは語れない要素があることを知ってもらいたい、と北村さんは言います。
「サイズの合った眼鏡を使うことは、かけ心地をよくしたり、フレームの寿命を伸ばすためにも重要です。また人によって両目の間の距離はさまざまですが、フレームのかたちによって、顔の中央に目が寄り気味なのを少し離れて見せることができたり、逆に両目が離れているのを寄せて見せたりもできます。見た目の点でも、サイズは重要な要素なのです」
日本では、眼鏡フレームのサイズの違いについてあまり意識することはありません。サンプルをかけてみて、合うかどうかで判断するぐらいでしょう。眼鏡単体でデザインが気に入っても、かけてみて合わなければ、それは自分には合わないものとして諦めるしかありません。眼鏡店でのフィッティングである程度は調整できますが、限界があります。しかしオーダーならば、かけ心地の点でも見た目の点でも、その人に最適な状態につくることが可能です。さらにデザインと製造が分業されている場合と違って、北村さんのようなデザイナーであり職人でもある人の場合、全体のデザインから細部までの調整を一連の流れでスムーズに行うことができます。
直線と曲線のコンビネーションが絶妙なデザイン。「全体的に奇抜なのではなく、一見普通に見えて、ちょっと変わっているものが好きですね」と北村さんは言う。
「いずれはダウンロードしたデータで3Dプリンターを使って個人が眼鏡フレームをつくる時代だってくるかもしれません。しかし、既製品の替わりはつくれるかもしれませんが、個々の人に合わせて眼鏡をつくるには、職人の経験と技術が不可欠です。オーダーメイドなら、職人が存在する意味がある。オーダーメイドを手がけることは、私個人だけでなく、業界としても生き残っていくうえで重要だと思うのです。日本でもオーダーメイドの眼鏡はありますが、まだごくわずか。これからもっと浸透していってほしいし、そのための努力が必要だと思っています」(和田達彦)
サンプルの素材はアセテートだが、バッファローホーンや鼈甲でオーダーすることも可能。「北村 Domont」は日本では東京の「リュネット・ジュラ」で取り扱っている。