中世以降、説話を図像化したあまたの妖怪による夜通しの行進は、当時から人気で江戸期にも多くの絵巻が描かれました。暁斎はそれを屏風仕立てにし、大画面に楽しげでユーモラスな妖怪たちの集いを活き活きと描き出します。金砂子の効果も近寄って確認して。 河鍋暁斎 《百鬼夜行図屏風》 明治4-22(1871-89)年 紙本着彩、金砂子 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター
幕末から明治、巧みに時流に乗りながら、自身の画業を全うし、”最後の浮世絵師”ともいわれた河鍋暁斎。わずか6歳で歌川国芳の門下となり、その後、狩野派の画法を学びます。9歳の時に増水した神田川を流れてきた生首を家に持ち帰り写生したという、彼の画にかける情熱は、師をして「画鬼」と称されたほど。その天才は、浮世絵はもちろん、土佐派や円山四条派から西洋画まで、可能な限りの画法を研究し、伝統的な日本画、戯画や風刺画、挿絵と、あらゆるジャンルの作品をこなしました。
この暁斎の「画鬼」ぶりを堪能できる、決定版ともいうべき展覧会がBunkamura ザ・ミュージアムで開催されています。なんとほぼ8割が肉筆作品、しかもひとりのコレクターの所蔵という、驚くべき質と量です。その蒐集家とはハーバードで美術史を学んだイスラエル・ゴールドマン。オークションで《半身達磨》に魅せられ、作品を収集してきたというコレクションの選りすぐりによる競演は、最新の展示ケースで、筆の跡も、彩色の妙もじっくり観られる、めったに出会えない贅沢空間です。
まずは序章、ゴールドマンと暁斎の出逢いを象徴する「狂斎」と名乗った頃の作品からスタート。1章では彼を海外に知らしめた「鴉」の作品が一堂に並びます。2章では特に得意とした動物画を堪能します。写生を重視しつつ、動きと姿態を脳裏に焼きつけて画面に落とし込まれた鷲や虎から蛙や猫、鼠たちは、時に鋭く勇壮な雰囲気をたたえ、時に擬人化されてコミカルに動きます。3章では、変わりゆく社会と価値観を冷静に見つめた戯画や浮世絵を。4章では七福神や鍾馗が、その正統な姿にとどまらず、神々の宴会や退治すべき鬼と戯れる演出が楽しめます。数少ない春画コーナーで、仕掛絵やユーモアある描写で、「笑い絵」の艶に触れ、5章は幽霊や骸骨、妖怪たちが跋扈します。写実を下敷きに縱橫に羽ばたく彼の想像力に触れる、真骨頂ともいえる作品たちです。最終章は一転、ゴールドマンの初入手品《半身達磨》とともに、幽冥な神仙の世界が広がります。等伯や白隠に連なる「達磨図」や「観音」は、改めてその画力を感じさせます。
聖と俗、貴と賤、敬虔と洒脱、あまりにも広く、あまりにも深い暁斎の画とその視線――混沌の時代をあまねく写し続けた「画鬼」は、コレクターのみならず、鹿鳴館の設計者コンドルが入門を乞うほどに、人々を、世界を魅了したのです。ぜひその懐の大きな世界を実感してください。
もとは画帖だったものがニューヨークの画商により個別に販売された一枚。ゴールドマンが一度は手放しながらどうしても忘れられず、頼み込み取り返したお気に入りだとか。軽やかな筆がみごとに象を造形し、驚き縮こまる狸との対比がその大きさを強調します。このほかに所蔵している8点も展示されています。 河鍋暁斎 《象とたぬき》 明治3(1870)年以前 紙本淡彩 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター
目つきの鋭い二羽の鴉の漆黒と淡彩色ながら鮮やかな烏瓜の赤の対称が美しい作品は、鳴き声と羽ばたきが聞こえてきそう。海外にその名を知らしめ、外国人からの注文が殺到した「鴉」の作品が一堂する空間は迫力です。 河鍋暁斎 《烏瓜に二羽の鴉》 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター
病気を払う鍾馗図は貴賤を問わず多くの家で求められました。伝統的な画法の精緻な姿はもちろん、暁斎にかかっては、鬼に使いをさせたり、共に戯れたりする、人間的(?)な姿にも描かれました。鬼を毬のように蹴り上げる一枚は、掛け軸の縦の空間を活かした、発想、構図、その勢いともに秀逸です。 河鍋暁斎 左:《鍾馗と鬼》 明治15(1882)年 紙本着彩、金泥 Photo:東北芸術工科大学 杉山恵助/右:《鬼を蹴り上げる鍾馗》 明治4-22(1871-89)年 紙本淡彩 Photo:立命館大学アート・リサーチセンター ともにイスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London
後妻の死体の写生を基に描かれたという幽霊は、幽霊画で知られる応挙の作品に勝るとも劣らぬ迫力。室町時代地獄太夫と名乗り、地獄絵の打掛を纏った遊女と一休和尚とのエピソードを描く作品は、軽やかに賑やかに踊る骸骨と一休がコミカルで、金泥も打掛の地獄図も美しい太夫とみごとなコントラストをなしています。 河鍋暁斎 左:《幽霊図》 慶応4/明治元-3(1868-70)年頃 絹本淡彩、金泥/右:《地獄太夫と一休》 明治4-22(1871-89)年 絹本着彩、金泥 ともにイスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター
暁斎の弟子コンダーが旧蔵していた《半身達磨》は、ゴールドマンが初めてロンドンのオークションで落札した最初の暁斎作品です。この出逢いが圧巻のコレクションへとつながりました。室町水墨画の伝統を踏まえた数々の静謐な仏画や羅漢図とともに、暁斎の画力の真価とそれを見いだしたゴールドマンの眼を実感できます。 河鍋暁斎 《半身達磨》 明治18(1885)年 紙本淡彩 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター