静岡県長泉町「クレマチスの丘」にあるヴァンジ彫刻庭園美術館で、ユニークな展覧会が開催されています。「動物」と「生命」をテーマに14組の作家が集った「生きとし生けるもの」展をご紹介します。
静岡県にある「クレマチスの丘」をご存じですか? そこはJR三島駅からクルマで約25分。富士山に連なる愛鷹山麓に広がる広大な敷地に、庭園や美術館、文学館などが点在しています。2002年にオープンした「ヴァンジ彫刻庭園美術館」は、現代イタリアを代表する彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジの作品を収蔵する世界初の個人美術館。駿河湾を望む庭園と、そこに佇む彫刻作品が調和する美しい風景が印象的です。この美術館を舞台にいま、ユニークな展覧会が開催されています。タイトルは「生きとし生けるもの」。「動物」と「生命」をテーマにして、彫刻、絵画、映像、漫画、写真、詩など、多様な作品表現が展開します。
動物たちは、循環する生命を象徴するかのよう。
「クレマチスの丘」のチケットセンターで入館料を払い、壁に囲まれた細いコンクリートの道を抜けると、一気に視界が開け、緑の庭園の風景が広がります。そして、目の前に現れる1羽のウサギ(前ページの写真)。よく見ると彫刻です。そう、実はこれも今回の展示物のひとつ。美術館の建物に入る前から展覧会は始まっているのです。彫刻家・三沢厚彦さんのこのウサギは、いってみれば『不思議の国のアリス』に登場する時計を持った白ウサギのような、未知の世界への案内役。他にも庭園のあちらこちらに三沢作品の動物たちが待ち構えていて、意表を突かれることになります。
次なる屋外展示は、美術館の建物を覆うほどの巨大な壁画。淺井裕介さんの作品「生きとし生けるものへ」です。ひとつの画面の中に隙間なく描かれた無数の動物や植物は、離れた所から見ないと全容がわからないものから、近づいて目を凝らして初めて気づくものまで、サイズも種類もさまざま。まさに、多様な生きものが混在する地球そのものであり、生命の循環を象徴しているようにも見えます。
この壁画は淺井さんがボランティア・スタッフとともに現場に約2週間、滞在制作したもので、淺井さん独特の「泥絵」と呼ばれるシリーズの最新作。国内各地で採取した土を絵の具として使い、描いています。今回の作品に使われたのは、会場の庭園の土をはじめ、ご当地静岡県の富士山の湧き水が出る場所の土や、沼津の海の近くの土、遠くは青森県の土など、13種類。赤、黒、黄色、茶色、グレー、薄緑……実に豊かな色合いに驚かされます。土は生命に欠かせないものであり、私たちがいま、生を営んでいる自然の環境の奥深さを感じることができる作品です。
壁画の横にある入り口からいよいよ美術館の建物内へと入ります。まずは、陶器のような作品が静かにお出迎え。イケムラレイコさんのテラコッタ作品「ベイビーうさぎ」です。頭はうさぎで、スカートをはいたような下半身は人間の女性のような、不思議な存在です。ぴょんぴょんと跳びはねる跳躍力が印象的なうさぎには、分断されたいろいろなものの間を跳んでつなげていくという意味合いもあり、今日の動物と人間との関係を改めて考えさせられるようです。
「ベイビーうさぎ」の静謐な領域から階段を下りていくと、空気は一転、迫力ある彫刻の動物園が待っていました。庭園にいる動物たちと同じ、三沢厚彦さんの木彫シリーズが並ぶ空間です。ヘラジカ、トラ、クマ、バク、ネコ、サル……それぞれの動物の大きさは、本物の動物とほぼ同じ。しかし、その色や形はリアルというより、私たちの頭の中にある動物のイメージで表現されています。そこにあるのは、人が感じる“動物らしさ”のリアリティ。作者は動物を見る人間の視点について、私たちに問いかけているのです。鑿で彫った跡が表面に無数に残る動物の姿は、木彫でありながら、どこか血が通ったような温かみを漂わせ、材料となった樟の心地よい香りがフロア全体を包み込んでいます。時には床に座ったり、ごろりと横になったりしながら、トラやヘラジカのお腹の下をのんびり見つめていたくなるような空間です。
続くモノクロームの世界は、漫画家・西島大介さんのコーナー。2012年に刊行された漫画『すべてがちょっとずつ優しい世界』に登場する「ぼうや」と呼ばれるモチーフを描いた作品です。「ぼうや」の姿は、人間なのか動物なのかわからない寓話的な表現ですが、そのモデルは作者の7歳の息子。『すべて……』は2011年に起きた福島第一原子力発電所の事故を連想させる作品として知られており、「ぼうや」に向けられた眼差しは、現代の困難な状況下で生きる家族のつながりを感じさせます。
角度を変えながら、動物や生命について考える。
「生きとし生けるもの」展に参加しているアーティストは14人。彫刻、絵画、映像、漫画、写真、詩など、さまざまな方法で表現された作品が登場します。いまという時代を生きるアーティストがそれぞれの視点と想像力で生み出した「動物」や「生命」の世界は、まさに多種多彩。一人ひとりの作品と向き合いながら、私たちはさまざまな角度から、人と動物の関係、社会と動物の関わり、生命のあり方について考え、見つめ直すことになります。
たとえば彫刻家・中谷ミチコさんは、人と鳥の関係に着目。三角屋根の家の中に入っていくと、石膏を用いた真っ白い壁に彫刻の鳥の姿が……。日頃、私たちが見る野生の鳥の姿はたいてい空を飛んでいるか、木の枝に止まっているか、ですが、ここではすっぽりと包み込まれた室内で鳥に囲まれるという体験をすることに。鳥は目の前にいるようでもあり、真っ白い壁はどこまでも続く大空のようにも感じられ、なんともいえない不思議な感覚に陥ります。
デザイナーの新居幸治さんは、「衣・食・住」の観点から人と動物の関わりを考えるというテーマで、羊の原毛でパオ(モンゴルの伝統的な住居)を作りました。パオの内部には羊の胃袋や腸が表現され、そこはまさに羊の体内。人間は、羊の肉を食べ、毛や皮、油、骨などそのすべてを衣服や道具にして生きてきました。動物は人間が命をつなぐために不可欠な存在でもあり、それぞれの生が密接に関わっていることに改めて気づかされます。
写真家・宮崎学さんは、野生動物の生態を撮影するために、独自に開発した無人の自動撮影装置を森の中に設置。夜、人のいない登山道を通るニホンカモシカやキツネ、ウサギ、タヌキなどの姿や、樹の穴の中で子育てするフクロウの様子を克明に捉えています。私たちが知り得ない、これまでに見たこともないような動物たちの表情や動作は力強く荒々しく、圧倒されてしまいます。同時にそれらの作品は、人間による自然環境の変化が野生動物の生態に及ぼす影響や、それによってかつての人間と動物との関係性が破壊された現状についても警鐘を鳴らしています。
一方、動物の中でも人間ととても近しい関係にある犬をテーマにしたのは、詩人で比較文学者の管啓次郎さん。犬と人間のつながりの歴史は約1万年以上前から始まったといわれています。その関係性を、管さんは詩やエッセイ、写真を通して改めて解きほぐそうとしています。「ペット」や「家族」として私たちのごく身近なところにいる動物たちの存在も浮かんできます。
麦わらを敷き詰めたコーナーに馬の絵を展示したのは、画家の小林正人さん。「名もなき馬」というタイトルがついた絵の馬の口元をよく見ると、絵筆をくわえています。作者の自画像ということなのでしょうか。想像が膨らみます。麦わらを敷き詰めた馬小屋は、馬はもちろん、キリストが生まれた場所でもある。生命が生まれてくる場所という意味も持ち合わせています。
映像作家・高木正勝さんの作品は、アフリカ大陸のエチオピアで出会った人や動物が共生する暮らしを映像と音楽でまとめたもの。ロバとともに生きる子どもたちの姿、歌い、踊る人々のエネルギーが鮮やかな色と光の中にあふれています。
生と死の循環を、深く見つめ続ける。
地下の広い展示スペースをひと通り鑑賞したら、横の通路から小部屋が連なるスペースへ。最初の部屋には彫刻家・橋本雅也さんの白い植物の彫刻が飾られています。スイセンやサクラ、アイリスなど、透けるような花びらの一枚一枚までも緻密に再現。素材に使われているのはシカの骨と角です。橋本さんは猟師とともに山で鹿狩りをしたことがきっかけで、本格的に骨を使って花のモチーフを彫るようになったといいます。「アマサキソウ」という架空の名前をつけた花は、仕留めたシカを解体していく過程で浮かんだイメージを形にしたもの。動物の死を感じさせる骨を使い、身の回りにある花の生を彫る。生きとし生けるものの生と死の循環を深く見つめ続けることで生まれてくる作品です。
画家・染谷悠子さんの作品は、画面の中に動物と昆虫と植物が絡み合うように混在しています。版画の手法を用いて、そこに鉛筆、墨、水彩絵の具などで描き、さらに和紙を施しています。色や素材の重なりによって独特の質感と風合いが生まれています。また、よく見ると複数の作品は構図がまったく同じ。同じ型紙を用いながら、色合いや使う材料を変えることで、一方は“生の喜び”、もう一方は“死のイメージ”と、まったく逆の世界をつくり出していることがわかります。
窓の外に緑の庭を望む明るい部屋には、画家・ムラタ有子さんの油絵が並んでいます。淡い色調で描かれた動物たちは一見、優しく親しみやすい雰囲気をもちながら、同時に無表情のようにも見え、そこには人間と動物との微妙な距離感が感じられます。今回、出品されたのはハクチョウを描いた連作。渡り鳥として国境を越え、いろいろな場所へと移動するハクチョウの姿に、旅をすることが好きだという作者自身のいまの想いを重ね合わせた物語が展開しています。
さて、展覧会のクライマックスには画家・ミロコマチコさんのワンダーランドが待っています。通路の壁を埋め尽くす大迫力の「ナガスクジラ」は、シーチング生地に描かれた大作。さらに、ミロコ風のけもの道ならぬ「けものトンネル」で、ビビッドなコウモリやシマウマなど、たくさんの元気な動物たちと出会うことができます。さらに、トンネルの動物たちの目の穴を覗くと、そこには……。
14人のアーティストによる「動物」と「生命」をめぐる旅。見て、感じて、時には立ち止まって考えながら過ごす時間が、生きものについて、そして私たちが生きる社会について、さまざまなことを訴え、気づかせてくれます。自然に囲まれた、生命感にあふれるこの美術館のロケーションが、さらにその想いを強くさせてくれるのではないでしょうか。
10~11月には参加アーティストによるワークショップやシンポジウムが開催される予定です。三沢厚彦さんと一緒に木彫にチャレンジする「動物を彫ろう」や、新居幸治さんによる「ソーセージ作り」など、子どもも大人も一緒に楽しめる企画です。
美術館の庭園では、いま頃クレマチスがピンクや紫の三番花を咲かせています。自然の中でリフレッシュしながら、丘の上のたくさんの「生きもの」たちに会いに行きませんか?(牧野容子)
生きとし生けるもの
2016年7月24日(日)~11月29日(火)
ヴァンジ彫刻庭園美術館
静岡県長泉町東野クレマチスの丘347-1
TEL:055-989-8787
開館時間:10時~17時(9~10月) 10時~16時30分(11月)※入館は閉館の30分前まで
料金:9月~10月/一般¥1,200、大学・高校生 ¥800、小中学生¥500
11月/一般¥1,000、大学・高校生 ¥500、中学生以下無料
www.all-living-things.com